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鈴鹿家記
光厳院延元丙子元年二月十四日迄十七日丙午、卯の中刻聖護院村西の方、南北百弐拾九間のふかさ七尺八寸にほりたてさせ申、粟田口より廿五人すけに参、岡崎村より五拾人すけに参候、白川村より四拾五人、田中より廿人、四村より百四拾人増人かヽり、山城両人御本所へ手紙にて申遣候、〈○中略〉未の上刻、聖護院は両人より弐百五拾弐人夕飯出る、汁さく〳〵、あえ物、やき物、香物大樽五荷、