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宇治拾遺物語
十五
今はむかし、天智天皇の御子に、大友皇子といふ人ありけり、太政大臣になりて、世のまつりごとおおこなひてなんありける、心の中に御門うせ給なば、次の御門には我ならんとおもひ給けり、清見はらの天皇そのときは、春宮にておはしけるが、このけしきおしらせ給ければ、〈○中略〉御門〈○天智〉病つき給則(とき)、吉野山のおくに入て法師に成ぬといひてこもり給ぬ、〈○中略〉軍おとゝのへて迎たてまつるやうにして、ころしたてまつらんとはかり給ふ、この大とものわうじの妻にては、春宮の御女ましければ、父のころされたまはんことおかなしみ給て、いかでこの事つげ申さむと覚しけれど、すべきやうなかりけるに、おもひわび給(○○○○○)て、鮒のつゝみやきのありけるはらに、ちいさくふみおかきて、おし入てたてまつり給へり、〈○下略〉