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皇都午睡
三編下
宇治丸と雲は、鰻鮓にて価金百匹の由人々雲伝へたり、中々左様の価にては是なきとぞ、近年大坂中の島の何某と雲ふ富貴なる人、出入の幇間お召連れ京都へ上り、数日逗留の内、或日宇治見物に行しに、かの幇間が旦那宇治丸立(うじまろだて)とはいかゞと雲ふに、いかさま来たこそ幸ひ、よきに計らへと有に、心得候とて、菊屋とやらん料理屋へ至り尋ければ、亭主出て、宇治丸御所望に候やと雲に、いかにも所望なりと雲ふ、然らば奥へお通り下さるべしと、座敷へ伴ひ、扠家内の様子甚混雑の体にて、やがて亭主上下お著し座敷に出て、先以て大慶の段有難き旨一礼おのべ、夫より盃出て、鉢物類あれこれ出せども、鰻はかつて有ざれば、いかゞと思ひながら、良久しく待しに、漸く細き鰻二本焼て出したり、され共つゞひて持出る体もなけねば、今少し沢山に出し候へといへば、畏り候とて、又余程隙入りて三本焼て出しぬ、是にて茶漬など喰ひ、酒も納めて払ひの書付お取らんといへば、亭主お心持次第下さるべしと申に、夫にては如何なれば、是非直段聞せ候へと再三尋ねしかど、兎角御心持次第と計り申す故、かの幇間亭主お片隅へ呼び、内分にて尋ねけるに、是迄かやうなる格もあらんに、心持といふは大体いか程なるやと、亭主雲ふ、是迄の格お申さば、金廿両又卅両申受候、至つて過分なる心持に申受候は、五十両も御座候といふに驚き夫は何故左様に高直にやと問ふに、いかにも高直なる訳申さんと、裏の小屋へ連行き見せけるに、大半切桶に鰻数杯あり、亭主ゆびざして雲、斯の如く宇治中の鰻お丸で買取申候、去により宇治丸と申伝へ候、此内にて才三五本目利仕り、料理致し差上申候、残りの鰻は此宇治川へ残らず放生いたし候なり、右の様子候へば、施主の御方所望成され候こと甚希に候へば、私祖父の代に両度、親の代に、一度御座候まゝにて、私の代にては、今日が初に候、元より此義に付、口銭世話銭申受候儀は曾て是なく候、隻私の身に取て外聞にて候へば、いか程にても御心持次第つかはさるべしと申にぞ、拠なく亭主お京都宿へ連帰り、数十金お渡しかへされしと也、