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塵塚物語

左馬頭基氏宥庖厨人事鎌倉左馬頭もとうぢは、武勇たくましくして慈悲のこゝろも人にこえ、いと正直なる生れつきなりけりと雲伝へ侍る、〈○中略〉しかふしてつねに美食おこのみて賞玩し侍るに、或時庖丁人およびよせ、ふなお取寄ていはく、此うお能くやきてのち羹にすべし、相かまへて無さたに仕るなと、きびしくいひ付て、内へ入られけるとなん、庖人かしこまりて、右ふなおよくあぶりて、みそ汁おもて熟くこしらへ、煮て膳部にそなへけり、扠陪膳のもの是お持て、基氏にすへたり、基氏椀のふたお取てふなおみれば、よきほどに火とおりて愛すべしとみえてければ、かた〴〵お食して又うちかへして食はんとし給へば、則一方は生にてぞ有ける、庖人の不運にや、此魚ぶ沙汰にはせざれども、片身きら〳〵しく生にて有あひだ、基うぢ大きにいかりたまひて、やがて執事およびよせて、彼庖人お召つれて可罷出よし責られけり、執事も此ものおふびんに思ひながら、主命もだしがたくして、ついに庖人お引つれ、客殿の二間お過ておくへ入れば、庖人もすは覚悟してけり、あつはれ援にて御手うちにあひぬるものおと、色おうしなふてひざまづき居けり、時にもとうぢわきざしお腰に横へ、かたなおはひたり、手にひさげてちか〴〵とあゆみより、おのれすでに日来の不忠心にあるゆへに、今かやうの失あり、すみやかにいのちおうしなふべきなれども、先此たびはゆるし置物なり、自今以後よく心得て、料理いたすべし、さりながら此たびも唯にはあらじ、はだかにして此縁のはしへまいり、ひざまづきて居るべし、ゆるしなきうちははたらくべからずといひて、又鷹がりに出られける、〈○下略〉