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笈雉随筆

五十間庖丁(○○○○○)京都に五十間某とて、代々包丁の家あり、元来豊臣秀頼公に仕へし者也、大坂城乱の時、故有て京極宮に入て今に庖丁司たり、料理おする人多く此門下に客たり、其百日の鯉お截事、山蔭中納言殿に始り、今に庖丁の名誉とす、正月五十間氏に庖丁始といふ事あり、門人会して諸の魚鳥お料理すに、花美なる見物也、予〈○百井塘雨〉が見候時は、東山長楽寺の佐阿弥が亭にて有し、先其日の番組有て、奉書紙に書て出すに、料理人の国所姓名又料理の題名あり、第一の祝儀として熨斗包鯉とあり、一人は麻半上下お著し、真那板長五尺計、幅弐尺計り、真那箸庖丁お置、膝行して真那板により、庖丁箸お取て種々の式ありて、先真那箸お以て奉書紙お行の熨斗包に折形し、扠鯉の大なるお截立て、彼紙につゝみ水引お以て結ぶ、始終庖丁真那箸にて、更に手お以てせず、斬て次第に出て料理す、都合十五番なりし中に、鰭通し鯛と銘せし物は、弐尺に余る大鯛お、堅にして其口より鰭尾に至る迄三枚に卸す、又幣帛鯉といふは、鯉お横に堅に毛切にして、真那箸に貫きたるは、則幣の形とす、左右の刺身離るゝ如くにて連れり、其余は宗氏五十間氏倶利加羅鯛といふお勤らる、魚多鯛鯉、又鰈ありし、其手練無造作なるや目覚る見物也、其庖丁真那箸と同じ長さ弐尺計也、兼て思ふ、庖丁は目釘にて固めし物やと、曾て左にあらず、時として抜る事あり、是お以て見れば、皆手の内の練磨にて、誠に業に熟せしなめり、人いふ西国の諸候、船にて上坂の時、料理人の者、真那箸にて大切の皿お挟み、海にて濯ひしといふも、又妄言ならじ、或人の説に、料理の始りは、魚名公の男四条中納言政具卿より庖丁起れり、援お以て四条流などいへる、別て伝授とするは、五魚三鳥也、五魚とは、鯉、鯛、鰈、真那鰹、鱸也、三鳥とは鶴、雁、雉子にして、各作法有て、又料理の調味少なからず、