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蜘蛛の糸巻
料理茶屋百五六十年以前は、江戸に飯お売る店はなかりしお、天和の比、始めて浅草並木に、奈良茶飯の店ありしお、諸人珍らしとて、浅草の奈良茶飯喰はんとて、わざ〳〵行きし由、近古のさうしに見えたり、〈本書より抄出し置きたれ共、坐右におきてむづかしければ引拠せず、〉しかるに都下繁昌につれて、追々食店多くなりし中に、明和の比、深川洲崎に、升屋祝阿弥と雲ひし料理茶屋、亭主は剃髪にて阿弥といふ名おつけしは、京都丸山に倣ひたるなるべし、此者夫婦、人の機おみる才ありて、しかも好事なりしゆえ、其住居二間の床、高麗縁なげし入り、側付お広座敷とし、二の間三の間に座しきおかこひ、中の小亭、又は数奇屋鞠場まであり、庭中は推してしるべし、雲州御隠居南海殿、おなじく御当主の御次男雪川殿、しば〳〵援に遊び給へり、此両殿は其比の大名の通人なり、雪川殿のかくし紋、〓此の如く川といふ字の羽織、名あるたいこ持は著ざるはなし、升屋祝阿弥、件のごとき大家ゆえ、諸家の留守居者の振舞といふ事、みな升屋お定席とせり、其繁昌今比すべきなし、広座敷に望陀覧の三字お鋳物になし、地は呂色、縁は蒔絵、四角に象眼のかな物、額長さ六尺ばかり、裏書漢文にて南海君の祝阿弥へ賜ふゆえよし、二百字ばかり記しあり、嗚呼盛唐の宮閣も亡ぶる時あり、此額近ごろ質の流れお買ひしとて、或人の家にて見しが、後に聞けば、今の白猿に与へけるとぞいひし、天明に磯せゝりの通人が遊ぶ料理茶屋、葛西太郎〈隅田川より秋葉へ往く堤の下り口、今は平岩、〉大黒屋孫四郎、〈同所秋葉〉甲子屋、〈真崎〉四季庵〈中洲〉二軒茶屋、〈深川八幡境内〉百川、〈室町横町〉