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寛天見聞記
享和の頃、浅草三谷ばしの向に、八百善といふ料理茶屋流行す、深川土橋に平清、大音寺前に田川屋、是等は文化の頃より流行せし料理屋也、或人の噺に、酒も飲あきたり、いざや八百善へ行て、極上の茶お煎じさせて、香の物にて茶漬こそよからんとて、一両輩打連て八百善へ行て、茶漬飯お出すべしと望しに、暫く御待有べしと、半日ばかりもまたせて、やう〳〵にかくやの香のものと、煎茶の土瓶お持出たり、かの香の物は春の頃よりいと珍らしき瓜茄子の粕漬お切交ぜにしたる也、扠食おはりて価おきくに、金一両弐分なりと雲、客人興さめて、いかに珍らしき香の物なればとて、あまりに高直也といへば、亭主答て、香の物の代はともかくも、茶の代こそ高直なり、茶は極上の茶にても、一と土瓶へ半斤は入らず、茶に合たる水の近辺になき故、玉川迄水お汲に人お走らしたり、御客お待せ奉りて、早飛脚にて水お取寄せ、此運賃莫大也と被申ける、