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守貞漫稿
五生業
茶漬屋茶漬飯の略也、京坂其始お詳かにせずと雖ども、元禄六年印本西鶴置みやげに曰、近き比、金竜山の茶屋に一人五分づヽの奈良茶お仕出しけるに、器のきれいさ色々調へ、さりとは末々の者の勝手能こと也、中々上方にもかヽる自由なし雲々、金竜山は今の待乳山お雲也、一人五分は価銀五分也、是によれば、京坂は元禄以後に始ること明か也、〈○中略〉右の奈良茶、皇国食店の鼻祖とも雲べし、今世江戸諸所に種々の名お付け、一人分三十六文、或は四十八文、或は七十二文の茶漬飯の店、挙て数べからず、〈○中略〉大坂道頓堀奈良茶飯、是江戸お学びたるべく、古くより有之、其他新町の春日野一人三十六文、天王寺前の福寿、是は享和比より始る、野中の轡屋は文政中に始る、難波新地の朝日野、天保に始め行れ、近来天満の社前、博労稲荷の前、三津寺前に店お出す、