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徳川禁令考
四十九魚鳥野菜并諸食物商
文化元子年十二月十四日 食物商ひ之儀に付年寄〈江〉申渡〈根岸肥前守殿(江戸町奉行)御渡書〉何品に寄らず、食物商ひ致し候者、前々より多分相増候儀、畢竟貴賤共、奢之心より無益之費お不顧故之事に候、此度江戸内食物商ひ致し候者、相調候処、六千百六十軒余有之候間、此度右軒数委細帳面にいたし置、此上右商ひ相止め、外商売に相成候分、都〈而〉五け年之内減候分は減切之積相心得、来る午年に至り、軒数相改め申聞候様可致候、 十二月 右御書取御渡被成候に付、同廿一日、樽与左衛門役所に〈而〉、組々肝煎名主小口年番名主〈江〉申渡、 申渡一勝手に〈而〉食物商売相仕舞候分は、減切之人数に入候事、一親子兄弟、或は養子致し、商売相続之儀は承届可申候、一養子等に〈而〉家業相続致し候には無之、右商売体計、親類〈江〉相譲候儀は難成候、一堺町、葺屋町、木挽町、并新吉原町之儀は、是又此度調之外に相心得可申事、一日々出稼之食物振売之ものは、其日稼之儀に付、際限無之候間、此度調之外に可存事、 〈子〉十二月廿一日文化八未年正月廿七日 食物商ひ之儀に付申渡〈小田切土佐守殿(江戸町奉行)御内寄合おいて、根岸肥前守殿御渡書、〉 町年寄〈江〉御府内町々食類商ひ之儀、去る子年〈○文化元年〉改之上、有軒数六千百六拾五軒之内、六千軒お目当に致し、五け年之内は減切に致し、五け年過改之積被仰出、候間、減候分は勝手次第に致し、商売相始候分は、右人数之外〈江〉不出様、去る子年申渡、年番名主肝煎名主〈江〉申含、総名主〈江〉も名前大帳お仕立、無間断取調候積、樽与左衛門於役所申付候処、右五け年も相済候故、去午年改取被掛候処、寅年春、芝車町より出火致し、希成大火に〈而〉、諸商人共家財并商道具お失ひ、渡世可致様も無之、当座之凌に食物商ひ致し取続、勿論其砌は上よりも格別之御救御手当も有之時節故、名主共も制方不行届、勘弁も加罷在、子年極方より増候も有之由、猶当分之凌に相始候食物之商ひは、調之上為相止、商売替可為致候処、無其儀段は、支配之名主共不束に候得共、年限中、無間も大造之火災も有之候事に付、軽き者共急に商売替致し候〈而〉は、難儀之筋も可有之と、是迄は吟味之不及沙汰にも、此度格別之勘弁評議之上、猶又当未年より来〈る〉亥年迄五け年、改方年延之儀伺之上申渡候、然る上は以来支配限名主共、其支配町々に食類商ひ候軒数お相調、可成丈け早速相減候様取計、減候分は、当七月nan毎年七月十二月大帳に認め、町年寄〈江〉申立、町年寄より両番所〈○南北町奉行所〉江可申聞候、右は御慈悲之趣意お以、食物商売減方おも被仰付候儀に付、右之趣厳重に相守可取計候様、得と名主共〈江〉も申渡候様可致、 未正月天保七申年四月 食物商人之儀に付町年寄より申渡御府内町々食物商人共、文化元子年相改候軒数六千百六十五軒之内、六千軒お目当に致し、五け年之内減候分、減切申渡候処、年限中、同三〈寅〉年、芝車町よりの大火に〈而〉人数相増、一時に商売為差止候〈而〉は難澀之趣お以、同八未年中、伺之上、題帳差出、家業譲渡之儀、親子兄弟養子之外不為致、右寅年相始候分は、寄々商売替之積、減方取計候様、五け年宛、追々年延申渡、去未年、年限に付取調候処、当時全く五千七百五十七軒有之候間、今般右軒数お元高に相定、以来、取扱方、左之通可相心得候、一不限何品、食物商之外、新規者勿論、縦令似寄之品取扱候ものにても、食物商〈江〉商売替等も、一切不相成候事、一相続之儀、以来親子兄弟養子之外にても、差障無之分は承届候条、老衰又は病死等引受相続申出候節、都〈而〉是迄之通、当人町役人連印、其組合肝煎世話掛年番名主共之内加印可申出候事、一所替、是迄之通差支無之分、当人双方町役人連印之上、前条同様加印に〈而〉可申出、名前替、家主替、印形改等も同様之事、一病死跡差当り相続人無之、後家娘姉妹等之名前等に致し候分、後見お付可申出、当人養子にて及離縁、相続申出候はヾ、家持は親類、地借店借は地受人店受人印形致し、是迄之通、前同断連印可申出候事、一御仕置等被仰付、減切相成候者は、其時々可申出候事、一欠落致し、欠所に相成候分は減切、家財妻子〈江〉被下候分、相続是迄之通、前同断連印お以可申出候事、 但是迄之通、堺町、葺屋町、木挽町、并新吉原町、且出稼之食物商人共は、右申渡之外に候事、 右之通相心得、以後共猶不相弛様厳重に可取計候、食物渡世之者、株式差定候筋には無之、右渡世柄之もの、人数不相増様にとの御趣意に候間、家業売買に紛敷儀、并其最寄之組合之名目、或者行事等相立候様之心得違無之様、名主支配限、月行事持場所共、不洩様壱人別に得と可申聞候、右之趣者、町御奉行〈江〉伺之上申渡候儀に候条、可得其意候、 〈申〉四月