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成形図説
五農事
〓〈類篇煮米為〓食経作〓法、取蒸米一升置沸湯、勿令過熱出著新籮(したみ)内、是此間の汲漉飯ならん、〉海人藻芥曰、公家御膳、飯者強食也、執柄家等如此、姫飯全分略儀也、〈○中略〉この姫飯今常の飯にて、強飯は蒸飯の事ぞ〈万葉集、貧窮問答の歌に、甑には蜘窠布て、飯炊〈く〉ことも忘れてとあるお考へ、むかしは上下共に蒸飯なるお知らる、〉又資兼王日記曰、明応十年正月一日、諸社遥拝之後、三献有之、次御こは、次比目始、この比米始は、今の暦に告朔の意お遣せり、〈食は人命の天なれば、歳首に其始お慎は古の礼なるべし、世俗歳旦は芋子羹お茹お式とすれど、資兼王記に拠ば、姫飯も強飯と同く元日に食初ること、いにしへの格なるべし(中略)又枕冊子に、衣(みぞ)ひめの濡たるいみじうわろきと雲ひめは、浣衣には、飯の糊せる者なればかく雲にや、或は是お今南都の俗、茗粥(やじう)揚茶(あげちや)などいへる粥の事にて、昔の飯は皆粥なるにやと雲は甚非也、漢人の食こそ饔餐(あさこふ)に粥おば〓るなれ、凡そ常の飯お煮には、其沸騰とき磁碗に水お盛りて鼎の蓋の上に居、竈の薪お去ば、飯能熟のみならず、薪お省けり、又山野などにて飯炊べき器なき時は、竹筒に精米お六七分、水お十分入、口に栓さし、筒お火の上にあてゝ旋々あぶれば、筒の中に飯にえるものなり、〉