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源平盛衰記
三十三
光隆卿向木曾許附木曾院参頑事猫間中納言光隆卿宣ふべき事有て、木曾が許へ座して、先雑色して角と雲入られたり、〈○中略〉木曾も其時意得て奉入見参しけり、暫物語し給ひて、木曾根井お招て、や給へなんてまれ饗申せと雲、中納言浅猿と思ひて隻今不可有宣けれ共、いかヾ食時に座したるに、物めさでは有べき、食べき折に不食は粮なき者と成也、とく急げと雲、何も生しき物おば無塩(ぶえん)と雲ぞと心得て、無塩の平茸もありつな、帰給はぬさきに早めよ〳〵と雲ければ、中納言は斯由なき所へ来て恥がましや、今更帰らんも流石也と思て、宣ふべき事もはかばかしく不被仰、興醒て堅睡お呑て御座けるに、何鹿田舎合子の大に尻高く底深に、生塗なるが所々剥たるに、毛立したる飯の黒く扠交なりける(○○○○○○○○○○○○○○○)お堆盛上て、御菜三種に平茸の汁一つ折敷に居て、根井持来りて、中納言の前にさし居たり、大方とかく雲計なし、木曾が前にも同く備たり、木曾は箸取食けれ共、中納言は青興醒てめさず、木曾是お見て、如何に猫殿は不饗ぞ、合子お簡給歟、あれは義仲が随分の精神合子、あだにも人にたばす、無塩の平茸は、京都にはきと無物也、猫殿隻掻給へ〳〵と勧めたり、いとヾ穢しく思ひ給けれ共、物も覚へぬ田舎人、不食してあしき事もぞ在と被思ければ、めす体に玩て中庭に突散し給へり、木曾は散飯の外には何も残さず食畢、戯呼猫殿は少食にておはしけり、去にても適座したるに、今少掻給へかし〳〵と申、其後根井、猫間殿の下お取て中納言の雑色に給、雑色因幡志腹お立て、我君昔より斯る浅猿き物不進とて、厩の角へ合子ながら抛捨たり、木曾が舎人是お見て、穴浅増や、京の者はなどや上臈も下臈も物は覚へぬ、あれは殿の大事の精進合子おやとて取てけり、