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傍廂
後篇
さばさばは、生飯、散飯、三飯、早飯などかけれど、皆かり文字なり、梵語なればしれがたし、飯お器に盛たる上に、又飯おちひさく丸めて上におくおいふ、仏家にて僧徒の食する時に、先此さばお作りて、別記に置きて、呪文お唱へ、訶利帝へ供ふ、この訶利帝といふは、天竺にて食物お作り始めたる人とかや、仏家のならはしなるお、朝廷にても、仏法御崇敬よりうつりしなり、仏祖統記、釈氏要覧などに、正食とあるに同じ、壒嚢抄にも鬼神に先供する飯おいふよしあり、論語郷党、雖蔬食菜羹瓜祭必斉如也、注古人飲食、毎種各出少許、置之豆間之地、以祭先代始為飲食之人、不忘本也、禁秘抄に、取左波立箸、陪膳取御箸、折出也雲々、後醍醐天皇日中行事に、御さばおとりて、あまがつに入れてたてさせ給ふ、陪膳にておのこ共おめす雲々とあり、朝廷へ入りたるうへに、かしこくも神宮へ移りて、豊受宮御饌殿に左波の壺といふ物あり、穢らはしき事は神官人もしらず、たゞ初飯おわかちて、別器に入れて、祖神お祭る事とのみ思へり、