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玉函叢説

屯食の事屯食の事くはしくかきたる物お見ず、たゞ顕俊朝臣の記にて、順徳院のいまだ春宮のほど、御元服せさせ給ひし時の式の中に、屯食百具、南庭の東西に舁立とあるすへに、其体謂盛屯食者、盛笥居二階白木棚、荒屯食之様、人々頗成不審歟、先例又無所見人者、隻以短冊下行雲々、在違例歟、仍且盛屯食許舁立之、可為例歟と注せり、〈後花山院相国の記、正元元年、東京御元服の条に、屯食百具、分置版位東西、南北行、坊舎人〈著褐衣白袴〉等、自東西中門南北戸運入之、而今日自東中門舁之、自南庭渡西猶奇異也、和屯食在前荒屯食在後、而今日荒屯食都不見、人々不知具体、且承元如此雲々、各調進、人々以短冊給諸司雲々、〉もとはもりとじきお取に立て、荒屯食おば後に立る事なるに、此頃すでに、あらとじきのこともわきまへたる人なくて、短冊にかきて下行せしめけるなり、〈○中略〉また考ふれば、いましめとりなどに、二重の台とて亀甲形の台の雲がたすかしたる高欄つけて、足も亀甲形の折櫃の様なるに、立さまにすみ形おえりて、した台とて、すこし大きなるお、是もうへのさまに亀甲形えりたる高欄おつけて、足は花足なり、さてうへなる台の高欄のうちに、亀甲形の笥お置て、其笥に折立して、餅おだいにてうへにくだ物お盛て、床の上に二具置事のあるなり、〈○註略〉又ふるき十二支の歌合の絵にも、此二重の台の下台なきお、酒宴の座にすえたるお書き、又保元の軍の絵巻物の中に、是も下台はなくて四方なるお、酒宴の所に居たるおかけり、是等おもてみれば、此二重の台もふるくよりありし物也、〈○中略〉此物かくふるき絵にも見えながら、古しへ何といひし物といふ事おしりたる人なし、思ふに是その用は、食物お屯也、其体は笥に盛て二階の台に置、顕俊朝臣の記にあひ、且幾具といふに協ひぬ、其上いにしへも、御賀〈隆房が安元の御賀の記、献物百捧、中門よりこのみなみのあきに立、屯食百荷おなじきちらしひんがしの庭にたつと見ゆ、〉皇子御降誕〈中右記、元永二年皇子御降誕、五夜七夜、屯食お中門の外に舁立といふことあり、〉帝東宮の御元服にも〈○註略〉用いられ、親王以下の元服〈資長朝臣久安五年の記に、左大臣の息元服雑事の内に、凡食盛十具、荒十具とありて、末に屯食廿具、兼日召御座、今夕分賜之膳部雑色〈大夫故方宇治雑色〉御厩、主殿、前栽作、釜殿、牛飼、政所、〈大夫殿〉已上件所々相針分、〉又女御参の家、〈玉蘂に、承元三年三月十三日、故摂政前太政大臣長女有入宮とある条の末に、屯食分給所々とあり、台記、寿永元年、立后雑事の中に、屯食六十具〈盛卅具荒卅具〉日別廿具〈盛十具荒十具〉と有〉五節の姫君いだせし家〈雑要抄、五節雑事の中に、屯食十一具、〉凡人の賀〈台記別記、久安三年知足院殿の七十の算賀の事おしるせし中に小舎人所、御厩、政所御車副、政所法師、已上屯食一、屯食卅具、盛廿具と見ゆ、〉又一の人の春日詣、〈台記、一の人の春日詣の中に、屯食十七具、余分二具、支配御車副八人二具、牛飼二人一具、神馬十人二具、神宝所仕丁十六人三具、物供仕丁七人二具、居飼廿四人二具とみゆ、〉などにも此物お用うる事、日記どもにあれば、むことりの所あらはしには、まして古しへは、是おさる方に用ひしかば、すべてさるべき悦どもにはもちいしなるべけれど、家々の日記も公様の事おむねとかきて、家なる事は洩する事常なれば、載ざるにて、用いざるにはあらぬ事しるべし、是等合せみれば、今の二重の台の盛ものぞ、古くよりいひし屯食なる事うたがひなし、又それが中に、荒屯食といへるは、承元の比は別して器などまでもかはるとやいひあへりけん、顕俊朝臣も盛屯食の様おかゝれしにも、盛様おばかゝずして器のみおかゝれき、考ふるに、類聚雑要抄に、保延の仁和寺競馬行幸の御膳等の事おしるせし末に、殿下の前の物の中に、盛菓子六種とありて、大臣の前の物には交菓子一杯と有、一種の菓子も交菓子と杯に盛なれど、一種もるなるお盛菓子といふなるは、古きならはしのことば也けり、かゝれば盛屯食とは、一種おもりたるおいひ、荒屯食とは、種々の物おまぜ盛たるおいひたりとはしりぬ、まことに一種なるはうるはしくもるなめり、されば小き屯食ともいへり、種々なるは、物のかたちおなじからねば、盛たる姿あら〳〵しければ、あら屯食とはいふなるべし、〈○中略〉彼ふるき絵の酒宴の坐なる屯食どもは交盛たる也き、これぞ荒屯食にはありける、〈○註略〉今二重の台といへるは、五色の餅おむねとはもれど、うへに昆布勝栗などやうの物お盛て、盛りとめには梨子おしくお上にして置なれば、かの荒屯食也、また手かけ箸初の台などいへる、二重の台のやうにて、ややちぬさきに稲毛盛式は、そぎもり折もりなどにして、うへに長きのし蚫お五枚計りはさみて、色うへはかざりにて、下は一色盛りたれば、こは盛り屯食とやいふべからん、なれどもうへなるのしは、もはらの事にて、下は何おもすれば、あらししきにやつくべき〈○註略〉さは今は盛屯食はなくて、荒屯食のみなり、ふるき絵の二の屯食も、荒屯食なれば、承元のころも、荒屯食のみにや有けん、さるお器の様に思ひつるより、荒屯食お盛屯食と心得たるもしるべからず、〈○中略〉かく書付しほどに、上総の国にては、今も此物おとんじきといふと人のいへりき、げにふるき詞は、ひなにのこりたるぞおほき、