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竈の賑ひ
大和国揚茶粥(○○○)大和国は農家にても、一日に四五度宛の茶粥お食する也、聖武天皇の御宇、南都大仏御建立の時、民家各かゆお食し米お喰のばして、御造営の御手伝ひおしたりしより、専らかゆお用る事と雲伝ふ、奈良茶といへるは是より出たる事とぞ、扠あげ茶粥お焚には、前に記す白かゆの米お洗ふごとくざつと洗ひ、先茶お煎じ出して、常たくかゆより水お沢山いれてたき、米の真なきやう煮たる時、桶に〓(いかき&ざる)おのせ、其〓の中に檜杓お以てのこらずくみあぐれば、茶の湯は桶に溜り、飯は〓に残るなり、此湯は又なべ〈大和にては、多く鍋にてたく也、〉に入てたぎらせ、右あげたる飯お碗にもりて、此たぎる茶おかけて食するに、至てかろくしてたべよきもの也、是は前に記す茶粥のごとくして焚ば、ねばりてあしき故、斯したる事なるべし、土人是お揚茶粥と唱ふ、