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古事記伝
二十七
食御粮は、御加礼比伎許志売須(みかれひきこしめす)と訓べし、穴穂宮段にも、到山代苅羽井、食御粮(みかれひ)之時(とき)とあり、〈彼おも此おもみちしすと訓るもさることなれども、殊に粮字おしも書るは、なほ美加礼比と訓べきなり、書紀に食字、又飲食、進食などおぞみちしすと訓る、〉字鏡に、粻加礼比、〈爾雅に、粮糧也と雲り、〉和名抄には、四声字苑雲、餉以食遺人也〈と〉訓、加礼比於久留、俗雲加礼比、〈餉はかれひおくると雲訓は、さもあるべし、かれひにはあたらず、〉また考声切韻雲、糧〈字亦作粮〉行所齎米也、又雲、儲食也、和名加天とあり、万葉五に、都禰斯良農(つねしらぬ)、道乃長手袁(みちのながてお)、久礼久礼等(くれくれと)、伊可爾可由迦牟(いかにかゆかむ)、可利氐波奈斯爾(かりてはなしに)、一雲、可例比波奈之爾とある可利氐は、加礼比氐の約りたるなり、〈礼比は利と切(つヽま)る〉加礼比氐とは、加礼比の料と雲意なり、〈加礼比にする料の米と雲ことなり、加礼比の価と雲意にはあらず、〉加氐は加理氐の理お省けるなれば、〈理お省く例常多し〉此も同く加礼比氐なり、さて加礼比は乾飯(かれいひ)にて、旅には飯お乾て齎(もちゆ)くなり、其より転りて必しも乾(ほし)たるならざれども、旅にて食ふ飯おば加礼比と雲なり、古今集〈旅部詞書〉に、但馬国の湯へまかりける時に、二見浦と雲所にとまりて、夕去(ゆふさり)のかれいひたうべけるに雲々、伊勢物語に、其沢の辺(ほとり)の木の陰におりいて、かれいひ食けりなどあり、和名抄行旅具に、漢語抄雲、樏子、加礼比計、〈今按、俗所謂破子是、破子読和利古、蒋魴切韻雲、樏樏子中有障之器也、〉とあり、〈計は笥なり、さて今世にいはゆる弁当なども加礼比なり、〉