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柳庵雑筆

木曾の贄川駅に宿りし時、亭主某が家に、古く持伝えたる文に、読解がたき節々、明らめてよと雲つヽ取出すおみれば、天文永禄の頃の消息にて、さのみ賞すべき書もなかりしが、慶長三年の端書なる帳に、御糒ほとばし過不申候様念入可申候、夜の物御先ぶれに御書入なき分は、しかと御請分不申候と書たるあり、〈○中略〉慶長の頃は、旅人糒二合五勺お一日に充、十日路お行に二升五合お齎せ、駅舎に著て湯おわかし、糒お喰て寝る迄なりし、されば湯の木の代四銭、五銭お払ひ往来せしと也、然るお旅人自ほしいお湯にほとばすお煩はしとて、駅舎に打任せて頼めば、ほとばし過して、糒のかさお殖し、誠は糒お掠むるものゝ有しより、帳のはじめに書付置こととなりしとなり、是に依て思へば、軍防令に兵士人ごとに糒六斗お儲しめしも伊勢物語の八橋にて糒食たる、源氏物語玉葛の長谷にて豊後介が御台など打合(うちあは)すとむつかりしも、糒なるべきは論なし、道明寺にて製すも、根本旅行の用意なるべし、