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用捨箱

饂飩の看版〈芋川○中略〉又按るに一代男二の巻に、前に摸したる画お載たる条、二川といふ所に旅寐して雲々ありて、芋川といふ里に、若松昔の馴染ありて、人の住あらしたる笹葺おつゞり、所の名物ひら温飩お手馴てといふ事見え、此冊子より前、東海道名所記〈万治元年作〉四の巻にも、池鯉鮒より鳴海まで雲々の条に、伊も川うどんそば切あり、道中第一の塩梅よき所なりとあれば、今平温飩おひもかは(○○○○)といふは、芋川の誤りなるべし、其さまの似たるおいはゞ、革紐とこそいはめ、紐革とはいふべからず、されどひもかはと、あやまりしも又ふるし、〈誰袖の海にも芋川の事あり〉 富士石〈延宝七〉 ひもかは温飩捨水砕く氷かな 調川題は春氷なり、当時はやくひもかはといへり、今も諸国の海道には、彼幣めきたる看板ありとぞ、又温飩の粉おねりて、熨ざるほどの形お偽たるなるべし、鏡餅の勢したる物お、台に載たる看板、田舎にはありと聞り、