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一話一言
十九
むし蕎麦の価古き板本のはなし本に、江戸すゞめといふあり其中に、けんどんは時の間の虫浅草くわんおん寺内にのふありけるに、さぶらひとも見へず、中間らしきもの一人通り、すは町のあたりにて、せいろふむしそば切壱膳七文とよびける時に、此男腹もすきければ、よらばやと思ひ、こしお見れば、銭わずか十四五文ならでなし、ことの外くたびれひだるくはなる、まづよらばやと思ひ、のれんの中に入よりはやくぜんお出す、すきはらなれば口あたりのよきまゝに、四ぜんまでくひけり、そば切の代は弐十八文、こしには銭十四五文ならではなし、いかゞせんと思ひけるが、しあんしてていしゆおよび、酒やあるととふ、いかにも御ざ候といふ、其儀ならば二十四文計がの出し申されよといへば、そのまゝ持て来る、それおのみて後に一ぜんのそば切半分くい残し、そばにやすでといふむし有けるお、わんの中に入、ふたおしてていしゆおよびいひけるは、此あたりにはやすでといふ虫おほく有やととふ、ていしゆ聞て、なるほど大分御ざりますといふ、かのものいふ様、あれはことの外くさきものにて、どくなりといへば、ていしゆなるほどくさきものにて御座るといふ、其時かのものさやう成どく、そば切に入、人にくはせてよきかと、さま〴〵ねだり、代物壱文も置まじきといふ、其時ていしゆさやうのわやは外にて申されよ、此あたりにては無用といふ、かのものいよ〳〵はらおたていかりければ、ていしゆがいわく、其方には表のかんばんお、何とみられ候や、むしそば切と書付たり、むしはありてもくるしからずといへば、此男こまりてへんとうなし、ていしゆがいふ、此へんたうし給はゞ、代物壱銭も取まじといふ、かのものいふやう、そのぎならば我等おば、あぶらむしにし給へとて帰りしとぞ、