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洞房語園
喧鈍 完文二年、寅の秋中より吉原にはじめて出来たる名なり、往来の人お呼声喧しく、局女郎よりはるかにおとりて鈍に見ゆるとて、喧鈍と書たり、其頃江戸町二丁目に仁左衛門といふものは、温鈍お拵へ、そば切お仕込て、銀目五分づゝに売はじめ、契情の下直になぞらへて、けんどんそばと名付しより、世間に広まるなり、