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還魂紙料

慳貪因果経といふ和讃に雲、人のものおばほしがるおけんといふなり、人に物おしがるものおどんといふ、けんどんぐちとは、こゝぞかし、こゝに説ところ、大むね法華経に見えたる慳貪の意に当れりとぞ、今の俗嗔恚の強事にいふは誤りにて、慳貪は吝こと也、されば蕎麦切にもあれ、飯にもあれ、盛切て出し、かはりおもすゝめざるおけんどんといふなり、〈飯慳貪のことは、すえに見えたり、〉むかし〳〵物語に曰、完文辰年〈四年なり〉けんどん蕎麦切といふ物出来て下々買喰、貴人には喰者なし雲々、是けんどんの初なるべし、又完文八年の比、江戸の流行物お集し短歌有、当世はやりもの肥前本ぶし やりがんな 人くひ馬に 源五兵衛 けいあんや き船道行三谷うた 河崎いなり 大明神 鎌倉道心 日参や 古作ぼとけに おんすゝめ いつも絶せぬ 観世音 三谷へ通ふは 駄賃馬 八文もりの(○○○○○) けんどんや(○○○○○) 浅草町は よね饅頭 〈以下江戸順礼の条に抄出〉一時の戯文幸に存て、百五十余年の昔お見るがごとし、〈肥前節のこと、きぶね道行のこと二編にいふべし、〉又酒餅論に、さてめんるいの長せんぎ、のび〳〵にして、うどんけなり、そばきりたてられ、いかゞせん、さうめんだうなることはいや、敵きり麦こそおもしろけれとて、けんどんさうにぞ見えにけるとあり、此草紙の画風お見れば、万治の比の物のやうに思はるれど、前にいふごとく、むかし〳〵物語に、完文四年けんどん蕎麦切といふ物出来とあれば、酒餅論も完文中の印本なるべし、むかし〳〵物語に記されしことは、大むね不違、〈○中略〉提重と江戸鹿子にあるは、一名お大名慳貪といふ、麁悪なる蒔絵おし、又青貝にていさゝか粧ひたるもあり、正徳の比までも流行て、其器は今に存、好事の人茶箪笥等に用ひて、人の知るところなれば、図お摸さず、〈○中略〉