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嬉遊笑覧
十上飲食
衣食住記に、享保の頃温飩蕎麦切菓子屋へ挑へ、船切にしてとりよせたり、其後麹町へうたんやなどいふ、けんどんや出来、蕎麦切ゆでゝ、紅から塗の桶に入、汁お徳利に入て添来る、其後享保半頃神田辺にて、二八即座けんどんといふ看板お出す、〈かゝればそばおも、うどん桶に入たり、二八そば(○○○○)といふこと、此時始なるべし、〉又雲、夜鷹そば切(○○○○○)、其後手打そば切(○○○○○)、大平盛、宝暦の頃、風鈴蕎麦切(○○○○○)品々出るとあれば、風鈴そばと夜鷹蕎麦とは、殊なりとみゆ、思ふに今も御菜籠にて夜そば売が有、初め夜鷹そばといひしは、このやうの荷にてありしなるべし、狂詩諺解に、風鈴そば夜たかそばと似て非なるものなり、太平にもり上おきありといへり、これ上に大平盛とあるも、今のしつぽくなること知べし、〈唯大平にもりしは、むかしより然り、〉銅脈が太平楽府、温飩蕎麪焚火行とあれば、京師もおなじころ、夜そば売出しとみゆ、