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南嶺子

中柴氏の老人の話に、蕎麦麪お饗さんとて客おうけ、既に蕎麦糸の如く是お大釜に入てゆでさするに、一すぢものこらず、にごり湯ととけて形なし、こはいかにとおどろき水おかへて又ゆでさするに、そば湯と蕩しゆへ、是非なく客方へことはりおたて、飯お出し、翌日よくあらたむるに、其朝荒海布お多くたきたる鍋となり、予〈○多田義俊〉此話お耳にたもち、そのゝち六条の人、したゝかそばきりお過食して、腹こはくいたみ甚し、予医人ならずといへ共、其席にて見るに忍びず、荒海布おせんじさせて用ひければ、腹痛たちまちに治したり、古人のはじめて薬の能毒お知るもかゝる事なるべし、荒海布そばお消の能は、諸の本草にも見へず、銭お苣葉にまきて嚙はふつ〳〵ときれ、刃物おとうきびのからにて秉(ねたば)おあはせて切れば、いかなる梅干も核ともに輪切になる類、各工夫して仕出したるにはあらじ、思ひよらぬ事が始となりたるなるべし、古人のなせし事は、後世のための故事となるも亦その如し、