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本朝文鑑

蕎麦切容 二竹堂むかしは蕎麦の花の解つくりて、先はその名のひゞきより、そばにそひ寐の花もさかば、色すこし黒からんにもと、あだなる言葉の色にめでしも、今はその花の実おほめて、切といふ字おそへたらんには、あつはれ武士の喰物にして、あま茶の男はかく事も得ざらん、さてこそ先祖ばせおの翁も、我家の俳諧の都にうつらぬは、そば切の汁のあまさにもしるべし、山葵のからみのへつらへるにやとは、俳諧のみにもあらず、蕎麦切のみにもあらず、儒仏一貫の風味おいへるならん、しかも文道の容おいへば、白紙が文集には、その花お詠じ、李公が本草には、その実お称す、されど我朝の歌人達は、大かた都そだちなれば、蕎麦切の歌はなきとやらん、さるお西行の心には、秀衡が馳走のそばの歌お、其世の撰集にえらばれずとて、うらみて道より帰られしとや、これらは荘子などの寓言に似たれど、今の風雅のへつらへる人お雲らん、そも〳〵蕎麦切の旗下には、一将お得て万夫の勇ありとや、鎧の袖もさくらさく花鰹(○○)お始として、陳皮(○○)の六郎も、唐辛(○○)の入道も、栗姜(○○)お二手にわけ、本より大根(○○)の下知おまつに、木曾は雪吹の頬おそぐよりもはげしく、伊吹は山おろしの鼻おもぐに殊ならず、しかるお海苔(○○)といふ物の、能登の国には黒のりといひ、伊勢の国には青のりといひ、其外国々の海苔はあれど、すはといふ時の間にあはねば、ある時もあり、なき時もあるべし、援に葷(ひともじ/○)といふ物は、源氏の品定にも出ながら、梵網の戒経にはきらはれて、あれの是のと名にたちしより、春はあさつきとも、かりきとも、冬はねぎとも、ねぶかとも、四季おり〳〵の名おかふれども、表むきには名おだによばず、かの物はなどいひあへれば、久米の皿山に一城おかまへて、懇望の人にはその香お発す、いはゞ孔明が草盧の名おかくして、その字も草冠に軍とはかけり、誠にさばかり群臣おしたがへて、漢の高祖の文武にもおとらねど、我も陸機が容にならひて、今は蕎麦切の徳おほむる也、