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東雅
十二飲食
餅もちひ 倭名抄に釈名お引て、餅は令糯麺合并也、此にもちひといふ、今按ずるに、麺は麦粉也と注せり、古の俗凡物の黏するものおいひて、もちといひけり、黐おもちといひ、糯米おもちよ子といひ、餅おもちひといふが如き是也、されば糕餅の類お呼びて、すべてはこれおもちひといふ、もちひとは糯飯也、今の如きは、糯米の強飯お搗て、餅となしぬるお、俗にはもちといひ、又かちひといふ也、かちひとは、搗飯也、漢に粢といひて説文に稲餅也といひ、集韻に飯餅也といひしものと見えたり、糯米麦粉等おもて合作れるものにはあらず、倭名抄には飯餅類に粢の字おば収めず、餅の字読てもちひといひ、釈名注引き用ひしは、其代には今雲もちひの如くなるものゝなくてやあるらむ、また古の物も今にかはらざりけれど、漢字お伝得し始より、粢の字お借用ひて、読てもちひといひしかば、倭名抄にも餅の字読てもちひといひ、又其字義お釈すべきためのみに、釈名おば引たりしもしるべからず、釈名に見えし餅の如きも、猶今も其制ある也、〈或人の説に餅読てもちひといふは非也などいふ事あれども、説文集韻の如きも韻の字お注して稲餅也ともいひ、飯餅也ともいひしかば、餅の字読てもちひといひし事、あしかるべしともおもはれず、釈名に見えし所の如く、糯米麦粉おもて合せ作りしものも、今俗に餅菓子などいひて、製品また少からず、またかちひおかちんなどもいふは其語転ぜし也、古語に搗(う)つ事おいひて、かちともいふ、搗栗呼びてかちぐりといひて、また舂米おかつなどゝいふなり、東北の方言と見えたり、〉