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閑田耕筆

餅おかちんといふにつきて、或は能因法師伊予の三島にて、祈雨の歌およみて、験ありしよろこびに、餅おつきてもてなしけるよりおこれるとて、則歌賃の字お充、又いつの比とかや、朝廷御衰微の比、川端道喜なるもの、日毎に餅お献ず、〈是は例にて、今も日毎に、小豆のもちお献ずるとぞ、〉それが褐色の服お著たりしより、女房達、けふはかちんはいかになどいひならはせしより、終に餅の異名となれりともいふ、皆信じがたきお、藤堂楽庵搗飯(かちいひ)ならんといはれしは理に覚ゆ、搗栗といふも、栗お搗たる也、