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古今要覧稿
時令
ちまき〈粽〉ちまきは和名にして、漢名お粽、或は角黍ともいひて、類聚名義抄、新撰字鏡、和名類聚抄等に見えたれば、此以前よりつくりて、もてはやせし事しられたり、しかれば千有余年の昔より、五月五日粽お用る事ながら、国史式等には所見なければ、当時供御には備へざるものとしられぬ、さて粽の説さま〴〵あり、続斉諧記には、楚の屈原が故事お挙、風土記には陰陽包裹未散形に象るといひ、唐の世にいたりては、宮中の戯れ事となれり、此事天寳遺事に見えたり、抑ちまきと名付るは、茅の葉お以てむかしはまきたるゆえ、茅巻といふ由、契冲阿闍梨、加茂真淵、山岡明阿の説なり、さもあるべし、又かざり粽の事は、伊勢物語、拾遺和歌集等に見えたり、是続斉諧記にいはゆる練の葉おもてまとひ、五綵のいとおもて、縳之と見えしものなるべし、緑粽は熱田社祝詞に見えたり、真薦粽は、本朝食鑑、東雅、日次紀事等に見えたり、是風土記、翰墨全書、本草綱目等の説によれる也、葦の葉にてまく事は続節序記、和漢三才図会、和訓栞にいでたり、これも本草の説によれり、稲草おもてまく事は、本朝食鑑に見え、さゝまき粽は和漢三才図会、類聚名物考にいでたり、これ荊楚歳時記に、以新竹為筒粽、と見えしによりて製せしものなるべし、菅或は灯心草おもつてまく事は、和漢三才図会に見ゆ、これ広東新語に、粽心草お以て繋黍とあるに粗似たる説なり、字典に粽は草名とのみしるしたり、これ灯心草、粽心草、二名一物歟、いまだ考ず、稗粽、藺粽も寺島良庵の説に見え、飴粽は食鑑に見えたり、南史にいはゆる黄甘粽是ならん、いかにとなれば、黄白色如飴色、故名と、野必大いえり、此粽古来よりありしお、渡辺道喜といふ者、巧にこの粽お製せし故、世挙て道喜粽といふよし食鑑にみえたり、道喜は完文延宝の頃の人にして、京師に住りし故、粽お作りて禁中へも献ぜしなり、此事日次紀事にしるせり、又朝比奈粽は、駿州朝比奈の人造り始るよし谷川士清いひ、絹まき粽は、紀州の称呼なるよし同人の説なり、その製法はいかなる物かしらず、〈追て、国人によりて、たゞすべし、〉以上十五種は、皇国製法の粽なり、しかはあれど西土の製によりし物もあり、筒粽は漢名にして、粽おつくり初めし時の名なり、一名角黍といふよし風土記に見えたり、是楚の屈原が汨羅に沈みし霊お祭らんがために、長沙の欧回といふものゝ、屈氏が霊にあへる時、彼霊の詫言によりて筒粽お製せしといふ事、続斉諧記に載たれども、異苑には屈原が姉のつくりて、原お弔せしともいへり、九子粽は歳時雑記、月令広義等に見ゆ、是は数九つ連ぬるおもて称するよし、年斎拾唾の説なり、百索粽は、かず百おひとくゝりとなせし故に、此名ありとしらる、月令広義、文昌雑録等にいづ、錐粽、茭粽、秤鎚粽は、歳時雑記、月令広義、事物原始等に見ゆ、これら皆其物の形ちにかたどりて作りし物なるが故に、しか名付しなり、庾家粽子は酉陽雑俎に見ゆ、これ上にいふ道喜粽の類にして、庾家の粽、当時名お得し故、後世までも称せる事とはなりぬ、粒粽、場梅粽は、事物原始に見え、緋含香粽子は清異録に、不落莢は戒庵漫筆に、〓と角子とは通雅、包金は名物法言、包黍は事物異名にあり、次食筒は剣南詩稿にいで、粡と〓とは康熙字典にのせたり、以上二十名、これみな製作によりて名も異なる也、又和品十五種、合せて三十五品あれども、此中製し方和漢同じきもあらんか、さはあれど和製はおのづから和製の法あり、粽はちまきの総名なるお、ちまきと雲も、茅の葉おもてむかしはまき初し故に、こもすげ、或は稲の葉、藺、葦葉などおもつてまくおも、皆ちまきといひて、こもまき、すげまき、稲まきとはいはざるなり、これ皇国にては、おのづから古名おうしなはざるお、西土にては包黍、或は次食筒とも、粡又は〓などいふおもてみれば、自然に其物としらぬ事となる故に、〓は粽也と注おくだし、不落策は即今之粽子などいふ事となりぬるも文飾の弊なり、