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槐記続編
享保十六年十月十一日、嵯峨渡御、〈○近衛家熙、中略、〉嵯峨にて御菓子にくりこ餅(○○○○)お仰付らる亀屋虎屋お呼て、役人衆より明朝微明の御菓子也、嵯峨まで持参して、苦からぬやうに認めて、今晩あぐべし、少も損ぜぬやうに、覚悟すべき由仰付らる、両家ともに得御請申まじき由お申て辞退す、然らば栗の粉は別に重物に入られて、餅は餅にて、別に持参あるべし、その餅お今宵あぐべしとの義なりしに、夜半過て餅ばかりも捧上けるとなん、古より長袖能舞多銭能商と雲へり、さすがの者共也、あきないの習にて、何といつはりても捧ぐべきお、此用捨よくよくのこと也、細事と雲へどもよみすべきことなり、