[p.0558][p.0559]
嬉遊笑覧
十上飲食
祇園物語又雲、出雲国に神在もちひと申事あり、京にてぜんざいもちひと申は、是申あやまるにや、十月には日本国の諸神、みな出雲に集り給ふ故に、神在と申なり、その祭に赤小豆お煮て、汁おおほくしすこし餅お入て、節々まつり候お、神在もちひと申よし雲々いへり、此事懐橘談大社のことおかける条にも雲ず、されど、犬筑波集に、出雲への留主もれ宿のふくの神とあれば、古きいひ習はしと見ゆ、また神在餅は善哉餅の訛りにて、やがて神無月の説に附会したるにや、尺素往来に、新年の善哉は、是修正之祝著也とあり、年の初めに餅お祝ふことゝ聞ゆ、善哉は仏語にてよろこぶ意あるより取たるべし、鷹筑波集、よきかなや影もぜんざいもち月夜、これ善哉お音訓ともに用たり、後撰夷曲集に、大納言の小豆ににたる物なれば、ぜんざい餅はくぎやうにて喰へ、〈貞徳〉一休物語、或人一休といふ名の由お聞て、歌よむお一休きこしめし、善哉々々とて尻餅ついてよろこび給雲々、〈貞徳が淀川に、咄しむ時尻もちつくものなり雲々、〉これ善哉餅おあやなして書たるなり、赤小豆おこし粉にせざる汁こ餅と見えたり、又洛陽集に、日蓮忌御影講や他宗のうらやむぜんざい餅〈高成〉今は赤小豆の粉おゆるく汁にしたるお、汁粉と雲ども、昔はさにあらず、すべてこといふは汁の実なり、完永発句帳に、名月〈幸名〉芋の子もくふやしるこのもち月夜、又油かすに、握られん物かやたゞはおくまじや、しるこの餅は箸そへてだせ、