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翹楚篇
一天明三年三月の事也、世子顕孝公の御室に松平土佐守豊雍の御娘采姫君お御縁約あり、始て土州御招請の時、表御座敷御祝の御饗応も、既に闌に及たれば、追付御勝手御座処に移らせ給ふべし、御勝手御饗応の物数如何、滞も無やと、御膳番の蓼沼友四郎御膳部の番持お呼て、尋けるより、夫々御献立に向て調へたれば、御勝手御座付の始に、供し参らする御餅菓子(○○○○)、御用意落になりたり、御台所役人の申出に、御献立表おもて御菓子やへ可申付お、何としたる事にや、取まぎれて申付ざれば、御台所の不調法に止ると雲、御膳部の申出に、縦令御台所の間違あればとて、御献立表は全く御膳部の大事なれば、疾と其品しらべにも可及お斯迄の間違に至らせしは、畢竟の処は、御膳部の不調法に止ると雲、此時友四郎差図して、指懸り今と雲今、不調法の申出しは先々よすべし、早々多人数お出し、近町の菓子屋共へ触渡し、餅菓子の品々取上よ、其内お撰ばゞ其相応もあるべしと、援に於て数人お出して呼しかば、各ありあふ餅菓子持て、数軒の菓子屋馳集る、然共御念に御念被入て、其品珍しき菓子組なれば、〈安永十年三月、御老中招請し給ひし時、干菓子組おもて御下知の菓子組也、〉元来出来合の菓子に可有にもあらず、止事なくして、彼と是お取合たれば、品こそ悪けれ、先は可也にも御間のかけぬ事にはなりぬ、かゝりしまゝに、友四郎卒と公○上杉治憲御呼立参らせ、しか〳〵の間違あり、差懸り止事なければ、是々の品お組合てと言上せしに、其菓子組立書おつら〳〵見給ひて、扠も〳〵其人共のする事は各別のもの也、前に差図せし菓子組にくらべては、又雲泥懸隔に能なりと、ひたすらに誉給ひし程に、夫々nan不調法お訟たれ共、御叱にも及ばで済し、