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世事百談
柏餅端午の日に柏の葉に餅お包みて、互に贈るわざは、江戸のみにて他の国にはきこえぬ風俗にして、しかも又ふるき世よりのならはしにもあらざるにや、ものに見えたることなし、徳元が俳諧初学抄に、五月の季に見えず、かゝれば完永の頃より後のことか、完文年間のものとおもはるゝ酒餅論といふ冊子に、弥生は雛のあそびとて、よもぎの餅や、端午にはちまきのもちや、柏餅水無月はじめの氷餅、嘉祥の餅雲々といふことあり、延宝八年の印本不と作の俳諧向之岡に、柏餅の句あり、 餅なりけふ世人はおみがく王がしは 兼豊 押ならべ両葉が間やかしはもち 水巴延宝九年の印本言水作の俳諧、東日記に、 端午の御祝儀として柏木の森冬枯れそむ 盲月 井楼の山や梢の四方のかしはもち 兼豊これらの句によりておもふに、この頃よりあまねく節物となりけんもしるべからず、さて予過ぎし文化のころ、西遊せしおりから、豊前の中津にて、端午の日にあひたりしが、菝葜の葉に餅おつゝみて家ごとにもこしらへ、餅あき人も売れるお見たり、名おば何といふにか問はざりし、案ずるに地錦抄に、菝葜は荊の類なり、葉丸く柿の葉のちひさき如くにて、葉中に三の筋あり、冬葉落ちて春出づ、秋あかく実あり、俗にさんきらいとも又はさるとりばらとも、いふ非なり、さるとりばらは葉の形、槐の葉のごとく、花色本うこん、花の長さ一尺ばかりにて、針大きくありて、各別の物なり、又の名おかめいばらともいふなり、近ごろ武州秩父の山中へまかりしに、農家客ある度に、小麦の粉お水に練り丸くちぎりて、此ばらの葉お両めんよりあて、柏餅のごとくして、はうろくに焼きてもちとなし、饗応しぬ、葉おとれば餅に三条の紋見えてあいらし、猶しほらしくこしらへなさば、いかにいみじき物ならんとおぼえしまゝに、家の女あるじに、是はこの所の名物にや、此葉お用ふるも子細ありやなど問ひ侍るに、声高に打ちわらひて、何条事の候はん、是お亀甲餅といふ、此葉おかめいばらと雲ふ、葉の形亀の甲に似て、また齢お延ぶる大事の薬にも入るといへば、食して無毒といひ伝ふと答ふ、さればこそいさゝかの人のこと葉も捨てがたしとは、かゝることにや、田舎人のいひすてに殊勝なる事もこそあれと、おもひ出づれば、実にや菝葜は、屠蘇の一味なれば、長寿の縁にもなるべしやといふに併せおもへば、西国の俗のみにはあらぬか、ある冊子に、大隅の片里にといひて、五月五日とて、松火あかしくなどゝあるところに、女は柏の葉にて黒米の餅お包みけるは、これなん上がたに、見しまこもの粽のかはりなるべきとあるなど見えたるにても、江戸のみのことゝも、思ひがたく、もとより木の葉はすべてかしはといふこと、いにしへの詞なれば、いづれの木の葉にもあれ、餅つゝみたらんは、かしは餅ととなへんも難なかるべし、