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梅園日記

饅頭事物紀原に、蜀の諸葛亮が孟獲お征しゝ時に、蛮神お祭らんとするに、蛮俗は人の頭お以て祭るならはしなりといふものありしかど、もちひずして羊と豕との肉お、麺に包みて人の頭にかたどりて祭れりとぞ、それより饅頭ははじまりけるよしおいへり、同話録にも此説あり、七修類稿には、もと蛮頭なるお饅頭と訛れりとすと、委しく〓苑日渉に記せり、按ずるに、此事又誠斎雑記、演義三国志、古今事物考などにも出て、誰もしれる故事なり、されども誤なり、いかにとなれば、初学記に、盧諶祭法曰、春祠用曼頭、糖餅、〓餅、牢丸、荀子四時列饌伝曰、春祠有曼頭餅〈以上初学記〉と、あるお見るに、三国の時蛮神お祭らんとて、造りそめたるものお、さしつぎの晋の祭に、〈盧諶は晋人なり、晋書に伝あり、〉そなへん事はあるまじくおもはる、又按に漢の劉熙が釈名に〓〓也、〓炙細密之肉、和以薑椒塩鼓、已乃以肉銜裏其表而炙之也と見えたり、是つゝむに肉と麺とかはり、熟せしむるに炙と蒸とのたがひはあれども、其製はまたく饅頭なり、されば此もの、諸葛氏より前にある事も亦明なり、蛮神お祭るに始らざれば、人の頭にかたどりて、饅頭と名づけたりといひしも、ひがことなること論なし、今名義お考ふるに、曼は〓お覆ふ義ならん、明の趙宦光が設文長揃に幔幕也、曼有覆義故従曼とあり、頭は宴会などの時、最初に出せる物の名にや、麺類お最初に出せる証は、宋の王避之が澠水燕談録雲、士大夫筵饌、率以餺飥、或在水飯之前、予近預河中府蒲左丞会、初坐、即食罨生餺飥、予驚問之、蒲笑曰、世謂餺飥為頭食、宜為群品之先可知矣、意其唐末五代乱離之際、失其次序、〈また明の胡侍が真珠船に、今人宴終必薦粉羹(うんとん)、其来頗遠、循斎間覧雲、太祖内宴先令進粉、故名頭食、後人宴終方薦此味蓋失其次耳、〉これ麺お頭食といへり、〈清の王棠が知新録に、近世点心亦名曰頭脳とあるも、麪類よりうつれるにや、〉或人雲、上に引る初学記の文に拠れば、饅頭は専ら祭にのみ用ひて、宴席の食物ならねば、頭食の類とはいふまじくや、答ていはく、芸文類聚の束晢が餅賦に、若夫三春之初、陰陽交際、寒気既済、温不至熱、于時享宴則曼頭宜設とあるにて、宴席にも用ひたるお知べし、 附識す、知不足斎本游宦紀聞に、黄長叡雲、饅頭当用〓字、見束晢餅賦とあり、盧文弨が跋に、此語お引て、今考束賦中自作曼字、即字書中亦無〓と雲り、按ずるに、広韻上平声二十六桓部〓字の注に、饅頭餅也とあり、其下に饅字の注に俗とあり、〓は正字、饅は俗字なり、