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守貞漫稿
後集一食類
饅頭今世世人口碑に伝ふ所、饅頭の始めは林和靖の裔林浄因と雲もの、〈○中略〉南都に住し、姓お塩瀬と改め、饅頭お製し売る、是皇国饅頭の始め也、延宝中食類に名ある物お雲る書に、塩瀬の饅頭お載たり、又元禄江戸名物にも、茅場町塩瀬山城守饅頭とあり、是実に林氏の裔歟未詳、今世江戸霊岸島に塩瀬山城の大掾藤原忠次と雲あり、林氏塩瀬雲々と暖簾に記せり、一家二姓に似たり、又同のれんに大日本第一本御饅頭家と題せり、然れども今世は当戸の制お賞せず、却て他戸諸店に名ある者多し、〈○中略〉京師是に名ある者未聞之、追書すべし、大坂は高麗橋通三丁目虎屋(○○)大和大掾藤原伊織なる者、諸国に名ありて頗る巨店也、饅頭出島白ざたう製一つ価五銭也、虎屋饅頭と称し、大坂も諸所此店ありと雖ども、虎屋製に非れば客に饗し、或は贈物等には他製お用ふることお恥ずる也、文政中、城西大手筋と雲処に、此店お開き東雲堂(○○○)と号し、饅頭大にて価十文精製也、是は大手まんぢう(○○○○○○)と称し、人にも贈り客にも呈し行れしが、虎屋の盛なるに及ばず、天保末に亡ぶ、菓子も製せし也、又江戸は何れの菓子屋にも専ら饅頭お製す、大坂は虎屋のみ菓子と饅頭お売る、其他は専ら菓子屋と饅頭屋は別戸に売ることヽす、其製は専ら三銭也、往々二銭の物もあり、ともに黒餡也、又上巳の節は一文饅頭お売る店あり、 因雲、虎屋饅頭切手と雲手券は、饅頭十お一紙とす、百員お贈るには切手十枚お以てす、江戸は定数無之、数の外は印行し、饅頭の数等は筆にて書加る也、多くは饅頭切手お用ひず、菓子切手也、大坂も虎屋の外は切手ある店は無之、又京坂は饅頭お竹皮に包む、江戸は紙袋に納る、音物にも京坂折詰希とす、江戸は折詰多し、江戸饅頭店数戸ありといへども、各大概四文お常とす、