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骨董集
上編上
金竜山米饅頭(○○○○○○)或説に江戸の名物米饅頭の根元は、浅草聖天金竜山の麓鶴屋なり、慶安の此、此家の娘におよねといへるあり、此女始てこれお製す、およねがまんぢうといへり、此説うたがはし、左に摸し出す図のごとく、〈○図略〉延宝の頃までは辻売なり、米およねといふ、米まんぢうと雲も、米のまんぢうと雲義にて、女の名によりてよびたるにはあらざるべし、常のまんぢうは麪(こむぎのこ)にてつくれば也、紫の一本〈天和二年〉に、聖天町にてよねまんぢうお商ふ、根本は鶴屋といふ菓子屋也、 根本はふもとの鶴やうみぬらんよねまんぢうはたまごなりけり 遺佚かゝればはやく天和の比は、居店にて売たるならん、江戸鹿子〈貞享四年印本〉米饅頭屋浅草金竜山ふもと也同所鶴屋とあり、江戸咄〈先板は故郷帰江戸咄と題す、後増補元禄七年の本あり、〉巻の五に、真土山雲々、援の山の麓のよねまんぢうは江戸中にかくれなき名物也雲々、ひとゝせはやり小うたに、金竜山で同道しよ、もどりがひもじかよねまんぢうとうたふたり雲々、〈当時よねまんぢうのおこなはれたるお見るべし、〉 〈享保の比の板、江戸八景の絵本に、金竜山聖天に二王門ありて、ひめぢ屋といふ、よねまんぢうの店あり、近き世までも其なごりありしなるべし、○図略〉江戸鹿子、真土山の条に、坂の登口、又聖天町の門前も左右ともに茶屋なり、此麓屋伊勢家の饅頭は名物なりとて、よねまんぢうとよぶ雲々とあれば、伊勢家といへるもありしならん、