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雲萍雑志

京にて大仏の餅饅頭(○○○○○○)流行し、こゝかしこにて商ふうちに、四条畷にこの饅頭お粥げる、近江上味といふものあり、或時店先へ乞食来りて、饅頭お十ばかり売りて給はれといふに、主人いで来て、非人には商ひせずと雲ふ、乞食のいへるは、我等とても同じ人なり、銭おもて買ふに、商ひものおいかで売らざるか、この理お聞くべしとて詈りけれども、主人は聊挨拶もなくて居たりけるが、詈ることのあまりにはげしければ、主人みせ先へいでゝ、さらばその訳申し聞すべし、下に居れとて、乞食にむかひ、女等ごとき乞食に売らぬといへる、その子細は、乞食となりて、かやうの菓子お食はんとおもふ不所存いはんかたなし、無益なれども耳あればきゝおくべしと、乞食がゝぶりたる手拭取り捨て、我あきなへる饅頭は尋常の製にはあらず、殊に上品に造りて、高貴の方へも奉る菓子なり、左あらば乞食などの分際にて、食ふべき品にはあらざるなり、女もしわが家の菓子お食ひたく思はゞ、人なみ〳〵のものとなりて後に、求めに来るべし、女諸人のあはれみお蒙り、わづかに露命おつなぐ身お以て、銭あればとて、上菓子お食ふことのあるべきや、世おおそれざる不届の族なり、とく〳〵行くべきなり、須臾も店先お塞ぐべからずと、いたく叱りて追立てければ、かの乞食は頭おかゝへて、何処ともなく逃げ失せぬ、