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柳亭記

ちゝら糖鱗形〈延宝六年刻、江戸住雪紫撰、〉に曰、俳諧といつぱ、世話おもとゝして、新しき句合お尋て、一句おはな〴〵と仕立るより外の習なしといへり、扠はござんなり、それ程の事なれば、おさ〳〵人におとるまじものおと高くおもひて、彼者とつれだち、さる席に出るに江戸橋の風痰お吹〈き〉きる、といふ前句の吟声お聞、不斗思ひよりしかば、是は此度長崎nan下るちゞらとうと付侍れる、猶名所おならべ、あきのふ所よりもよく侍れど、ちゞらたう此ほど仕出しあたらし過候と、もどされたりとあれば、ちゞら糖は痰切(○○)といふ物の類歟、国町の沙汰〈延宝二年写本〉に、日本橋第一番商、砂やがちりめん饅頭、糀町の助三ふのやき、両国橋のちゞらとう、芝のさんぐわんあめ雲々、〈注二〉ちゞらとうは風味甚甘美なり、風邪お去り気お散じ、諸病に宜しとて、今専賞玩とあれば、延宝中よりおこなわれし菓子なれど、今は絶たる歟、