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奴師労之
安永六年丙申、日光御社参の時、道中にてみし駄菓子に五荷棒(○○○)といふものあり、其頃駄菓子に達磨糖(○○○)といふものに似て、一口の味ふべきものにあらず、三間梁の飴と、よき対なりと思ひしが、今度庚辰、ある友のもとより、武州忍(おし)領北秩父の辺の菓子とて、五かぼうといふものお贈りしお見しに、むかしみしよりは、形大にして、其質もまたおこし米お、もてつくりたり、其形は野鄙なれど、四十年のむかしに、くらぶれば味ふべし、其頃千寿より先には、干菓子なし、駄菓子の中にも粟焼(○○)といふものなど丹緑青もて彩れり、今は左にてはあるまじ、 昔駄菓子達磨糖、安永道中満日光、秩父長伝五荷棒、大飴猶唱三間梁、 三十棒は今の上菓子、紅屋越後や船橋などは五十棒々々々、