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東雅
十二飲食
酒さけ 素戔烏神大蛇お斬り給ひしに、八醞酒お造らしめられ、又天孫の御子生み給ひし時に神吾田鹿葦津姫天甜酒(たむさけ)造られしなどいふ事、旧事紀古事記日本紀等に見えたれば、其因り来る所既に久しき事にて、其始おも知るべからず、万葉集抄に、酒おさけともいひ、さかともいふは、さかゆといふ詞也、酒宴は皆人のさかへ楽しむ故なり、又さヽともいふ同じ詞也、〈今俗に酒おささといふなり、即これ酒の転語なる也〉また神の酒おみわといふ事は、土佐国にある三輪川の水お用ひて、大神のために酒お醸したりけるに、殊にめでたかりければかく雲ひし也、神酒とかきて、みわと訓ずるは此故也としるせり、又酒おきともいふが如きは、其義詳ならず、〈古事記に、御酒二字読てみきといひ、万葉集にも、黒酒二字読てくろきといひ、白酒二字しろきと読むが如きは酒おばきと雲ひし也、日本紀釈には、みきといふ事お釈して、酒也といひ、おほみきといふ事お釈して、御酒也と雲ひしが如きは、酒おみきといひし也古の時には、きといひけといふ詞おば、相通じていひけり、木おきといひ、けといひ、またこといひしが如き此也、御酒おみきといひ、御食おみけといひし如きも、共にこれ飲食の物也しかば、これお呼ぶ所の詞の転じけるのみにして、其義異なるにもあるべからず、唯その飲食の物きと雲ひ、けといひし義は、今はた知るべからず、或説に食おけと雲ひしは消也、その消しぬるおいふなりといふ、もしさらば酒おきと雲ひしも、けといふ語の転ぜしにて、また消ゆるの義にもやあるらむ、また或説に、みきとは、みは御也、きはいき也、人お酔はしめては、いきほひの出る者也と雲へり、然るべしとも思はれず、〉