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倭訓栞
前編十佐
さけ 酒おいふは栄(さけ)えの義かえ反け也、呑は笑、さかえ楽むの義也といへり、貝原氏曰、昔年於長崎聞彼土人之言、曰、予嘗屡為海賈、遊于西蕃諸国、凡中華及諸夷之米穀、其味皆淡薄、不及于日本所産之甘美、故其所醸之酒、亦気味不及于日本、然則以日本之粳米曁良醞、可為天下第一雲、今按ずるに、天工開物に、南方酒皆糯米所為と見え、稲記に、稲謂之大師古、粳謂之小師古、醞謂之紅糸米、醸酒宜用大師古、造粉宜用小師古と見えたり、稲はもち、粳はうる、秈は大たう也、陶淵明も酒のために稲お多く種たり、されば西土の粳米、酒お醸するに堪ざるおもて〓お用る也、我邦粳のみ勝れたるに非ず、稲の宜き事も、後漢書に見えたり、蝦夷は粟お用う、蝦夷国の産物也、