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今昔物語
十九
以仏物餅造酒見蛇語第廿一今昔、比叡の山に有ける僧の、山にて指る事無かりければ、山お去り本の生土摂津の国の郡に行て、妻など儲て有ける程に、其郷に自然ら法事など行ひ、仏経など供養するに、多くは此の僧お呼懸て、講師としけり、才賢き者には無けれども、然様の程の事は心得てしければ、修正など行にも、必ず此の僧お導師にしけり、其行ひの餅お此の僧多く得たり、人にも不与て家に取置たりけるお、此の僧の妻、此の多の餅お無益に、子共にも従者共にも食せむよりは、此の餅の久く成てたらむお、被集めて酒に造らばやと思ひ得て、夫の僧に此なむ思ふと雲ければ、僧糸吉かりなむと雲合せて、酒に造てむなり、其後久く有て、其の酒出来たらばと思ふ程に、妻行て其の酒造たる壺の蓋お開て見るに壺の内に動く様に見ゆ、怪と思ふに、暗て不見えねば、火お灯して壺の内に指入て見れば、壺の内に、大なる、小さき蛇、一壺頭お上て惷き合たり、穴怖し、此は何にと雲て、蓋お覆あ逃げ去ぬ、夫に此の由お語るに、夫奇異き事かな、若し妻の僻目かと、我れ行て見むと思て、火お燃して壺の内に指入て臨くに、実に多く蛇有て惷く、然れば夫も鍔き去ぬ、然て壺に蓋お覆て壺作ら遠く棄むと雲て、掻出て遠き所に持行て、広き野の有けるに窃に棄つ、其の後一両日お経て、男三人其の酒の壺棄たる側お過けるに、此の壺お見付て、彼れは何ぞの壺ぞと雲ふ、一人の男お寄て壺の蓋お開て臨くに、先づ壺の内より微妙き酒の香匂出たり、奇異くて今二人の男に此と雲へば、二人の男も寄て共に臨くに壺に酒一壺入たり、三人の男此は何なる事ぞなむど雲ふ程に、一人が雲ふ、我れ隻此の酒お呑てむやと、今二人の男野の中に此く棄て置たる物なれば、よも隻にては不棄じ、定て様有る物ならむ、怖し気に否不呑じと雲ひけるお、前に呑と雲つる男、極たる上戸にて有ければ、酒の欲さに不堪して、然ばれ其達は否不呑ぞ、我は譬ひ何なる物お棄置たる也とも隻呑てむ、命も不惜らずと雲て、腰に付たりける具お取出て、指救て一杯呑たりけるに実に微妙き酒にて有ければ、三杯呑でけり、今二人の男此お見て、其れも皆上戸也ければ、欲と思て今日此く三人列ぬ、一人が死なむに、我等も見棄てむやは、譬ひ人に被殺るとも、同じくこそは死なむ、去来我等も呑てむと雲て、二人の男も亦呑てけり、世に不似ぬ美酒にて有ければ、三人指合て吉く呑てむと雲て、大なる壺也ければ、其の酒多かりけるお指荷て、家に持行て日来置て呑けるに、更に事無かりけり、彼の僧は少の智り有ければ、我が仏物お取集めて、邪見深きが故に、人にも不与ずして酒に造たれば、罪深くして蛇に成にけり、悔恥て有ける程に、其の後程お経て、其々に有ける男三人こそ、其の野中にて酒の壺お見付て、家に荷ひ持行て吉く呑ければ、実に微妙き酒にてこそ有けれなど語けるお、僧自然ら伝へ聞て、然らば蛇には非ず罪の深きが故に隻我等が目許に蛇と見えける也けりと思て、弥よ恥悲びけり、此れお思ふに、仏物は量無く罪重き物也けり、現に蛇と見えて惷きけむ、極て難有く希有の事也、然れば尚然様ならむ仏物おば、強に不貧ずして人に与へ、僧にも可令食き也、此の事は彼の酒呑たりける三人の男の語ける也、亦僧も語けるお聞継て、此く語り伝へたるとや、