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日本山海名産図会

造醸造酒の法精細と成て、今天下日本の酒に及ぶ物なし、是穀気最上の御国なればなり、それが中に摂州伊丹に醸するもの、猶醇雄なりとて、普く舟車に載て台命にも応ぜり、依て御免の焼印お許さる、今の遠国にては諸白おさして、伊丹とのみ称し呼べり、されば伊丹は日本上酒の始とも雲べし、是又古来久しきことにあらず、元は文禄慶長の頃より起て、江府に売始しは、伊丹隣郷鴻池村山中氏の人なり、其起る時は才五斗一石お醸して担ひ売とし、或は二拾石三十石にも及びし時は、近国にだに売あまりけるによりて、馬に負ふせてはる$〳〵$江府に粥ぎ、不図多くの利お得て、其価お又馬に乗せて帰りしに、江府ます$〳〵$繁昌に随ひ、石高も限りなくなり、富巨万おなせり、継起る者、猪名寺屋、升屋と雲て、是は伊丹に居住す、船積運送のことは、池田満願寺屋お始めとす、うち継で醸家多くなりて、今は伊丹、池田、其外同国西宮、兵庫、灘、今津などに、造り出せる物また佳品なり、其余他国に於て所々其名お獲たるもの多しといへども、各水土の一癖家法の手練にて、百味人面のごとく、又殫し述べからず、又酒お絞りて清酒とせしは、才百三十年以来にて、其前は唯飯籮お以漉たるのみなり、抑当世醸する酒は、新酒、〈秋彼岸ころよりつくり初る〉間酒、〈新酒寒前酒の間に作る〉寒前酒、寒酒〈すべて日数も後程多くあたひも次第に高し、〉等なり、就中新酒は別して伊丹お名物として、其香芬弥妙なり、是は秋八月彼岸の頃、吉日お撰み定めて、其四日前に麹米お洗初る、〈但し近年八九月節寒露前後よりはじむ、〉酒母(さけかうじ)〈むかしは麦にて造りたる物ゆへ文字麹につくる、中華の製は甚だむつかしけれども、日本の法は便なり、〉彼岸比〓入定日四日前の朝に、米お洗ひて水に漬すこと一日、翌日蒸して飯となして筵にあげ柄械にて拌均し、人肌となるお候ひて、不残槽(とこ)に移し〈とことは飯いれの箱なり、〉筵おもつて覆、土室のうちにおくこと凡半日、午の刻ばかりに塊お摧、其時糵お加ふ事、凡一石に二合ばかりなり、其夜八つ時分に槽より取出し、麹盆の真中へつんぼりと盛て、拾枚宛かさね置、明る日のうちに一度翻して晩景お待て盆一はいに拌均し、又盆お角とりにかさねおけば、其夜七つ時に、黄色白色の麹と成る、麹糵(もやし)かならず古米お用ゆ、蒸して飯とし、一升に欅灰二合許お合せ、筵幾重にも包て、室の棚へあげおく事十日許にして、毛醭お生ずるおみて、是お麹盆の真中へつんぼりと盛りて後盆一はいに掻ならすこと、二度許にして成るなり、醸酒〓(さけのもと)〈米五斗お一〓といふ、一つ仕廻といふは、一日一元づゝ片付行おいふなり、其余倍々は酒造家の分限に応ず、〉定日三日前に米お出し、翌朝洗らひて漬し置き、翌朝飯に蒸て筵へあげてよく冷し、半切八枚に配ち入るゝ、〈寒酒なれは六枚なり〉米五斗に麹壱斗七升水四斗八升お加ふ、〈増減家々の法あり〉半日ばかりに水の引お期として、手おもつてかきまはす、是お手元と雲、夜に入て械にて摧く、是おやまおろしといふ、それより昼夜一時に一度宛拌まはす、〈是お仕ごとゝいふ〉三日お経て二石入の桶へ不残集め収め、二日お経れば泡お盛上る、是おあがりとも吹切とも雲なり、〈此機お候ふこと、丹練の妙ありてこゝお大事とす、〉これお復〓おろしの半切二枚にわけて、二石入の桶ともに三つとなし、二時ありて筵につゝみ、凡六時許には其内自然の温気お生ずる〈寒酒はあたゝめ、桶に湯お入て、もろみの中へさし入るゝ、〉お候ひて、械おもつて、拌冷こと二三日の間、是又一時拌なり、是までお〓と雲、投(そへ)〈右〓の上へ米麹水おそへかけるおいふなり、是おかけ米又味ともいふ、〉右の〓お不残三尺桶へ集収め、其上へ白米八斗六升五合の蒸飯、白米二斗六升五合の麹に、水七斗二升お加ふ、是お一〓といふなり、同く昼夜一時拌にして三日目お中といふ、此時是お三尺桶二本にわけて、其上に白米一石七斗二升五合の蒸飯、白米五斗二升五合の麹に、水一石二斗八升お加へて一時拌にして、翌日此半おわけて、桶二本とす、是お大頒(おほわけ)と雲なり、同く一時拌にして、翌日又白米三石四斗四升の蒸飯、白米一石六斗の麹に、水一石九斗二升お加ふ、〈八升入ぼんぶりといふ桶にて二十五杯なり〉是お仕廻(しまい)といふ、都合米麹とも八石五斗、水四石四斗となる、是より二三日四日お経て、氳気お生ずるお待て、又拌そむる程お候伺に、其機発の時あるお以て大事とす、又一時拌として次第に冷し、冷め終るに至ては、一日二度拌ともなる時お、酒の成熟とはするなり、是お三尺桶四本となして、凡八九日経てあげ桶にてあげて、袋へ入れ搾(ふね)に満しむる事三百余より五百迄お度とし、男柱に数々の石おつけて次第に絞り、出る所清酒なり、是お七寸といふ、澄しの大桶に入て、四五日お経て、其名おあらおり、又あらばしりと雲、是お四斗樽につめて出すに、七斗五升お一駄として樽二つなり、凡十一二駄となれり、右の法は伊丹郷中一家の法おあらはす而已なり、此余は家家の秘事ありて、石数分量等各大同少異あり、猶百年以前は八石位より八石四五斗の仕込にて、四五十年前は精米八石八斗お極上とす、今極上と雲は九石余十石にも及べり古今変遷是又雲つくしがたし、すまし灰お加ふることは、下米酒薄酒或は〓(そんじ)酒の時にて、上酒に用ゆることはなし、間酒は米の増方むかしは新酒同前に三斗増なれども、いつの比よりか一〓の投五升増、中の味一斗増、仕廻の増壱斗五升増とするお佳方、寒とす前寒酒共に是に準すべし、間酒はもとより四十余日、寒前は七十余日、寒酒八九十日にして酒おあぐるなり、猶年の寒暖によりて増減駈引日数の考あること専用なりとぞ、但し昔は新酒の前にぼたいといふ製ありて、これお新酒とも雲けり、今に山家は此製而已なり、大坂などゝても、むかしは上酒は賤民の飲物にあらず、たまたま嗜むものは、其家にかのぼたい酒お醸せしことにありしお、今治世二百年に及んで才其日限に暮す者とても、飽まで飲楽して陋巷に手お撃ち万歳お唱、今其時にあひぬる有難さおおもはずんばあるべからず、