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明良洪範
二十
本多平八郎政武の臣三浦忠右衛門と雲ものは、忠義無双にて経済の名人なり、〈○中略〉酒は何方にても多く用ゆるものなり、姫路は所柄別して酒の多お見て、此地の金銀他へ出る事火しければ、何卒此費お省かん事お考ふるに、土地にて酒造りせんにはしかじとて、其事お申立て、若造り損じたらんには、其罪あらんと町中へ申付、其道々の人お集めて議し、美酒は陶師によるといへば、南都伊丹の名ある酒造りお呼びよせ、第一米と水と次第に吟味し、清水お汲せ、また滝水お用ひ、我身上にかはりて意おつくし、よく出来て女等が徳分なれば、必念入造るべしと下知し、樽も杉の上木お以て作らせ、彼是骨折、世話致しありけるに、其誠信によればにや、美酒ども造り出して、佳味南都伊丹におとらぬ上酒となり、価も下直に売しめければ、土地大に其利お得て、今は姫路酒(○○○)にて西国までも通用す、其上米は皆大坂にて運送せしに、酒お造り初めてより、地払の米も多き故、米直段も自然とよろしく、土民ども潤ひける、