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万金産業袋
六酒食
酒之部伊丹富田の作り酒、生もろはくといふは、元来水のわざにや、作りあげたる時は、酒の気はなはだからく、鼻おはじき、何とやらんにがみの有やうなれども、遥の海路お経て江戸に下れば、満願寺は甘く、稲寺には気あり、鴻の池こそは、甘からず辛からずなどとて、その下りしまゝの樽にてのむに、味ひ各別也、これ四斗樽の内にて、浪にゆられ、塩風にもまれたるゆへ、酒の性やはらぎ、味ひ異になる事也、総じて江戸にては、一切地造りの酒はなし、時として今繁花の江戸、いく八百八十やらん、方量無辺の其所に、日夜朝暮につかふ酒、みな右にいへる、伊丹富田、あるひは池田の下り酒也、霊岸島、茅場町辺、叉呉服町の酒問屋にて、右下りの四斗樽、家々の印にて買ふ、問屋には蔵手代といふが有て、買人おば蔵へ伴ひ、望に応じて利酒おさせ、拾両に幾樽といふ直に極めて売買す、扠此外に、少しは江戸の地酒も有、信州の上田ざけ、尾州の名古屋もろはく、地まはり奥酒なんどとて、取まじへ売用もすれども、所詮下り酒とのみくらべては、いづれにもにがみ有やうにて、京にて至極次なる新酒の淡き味より、色うすく気浅くて、さすが田舎の水すぢあらはれ、各別味ひよろしからず、