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嬉遊笑覧
十上飲食
下り酒、昔は江戸にて多く酒お造りて、下り酒はなかりし、事跡合考に、南川語て雲、津の国鴻池の酒屋勝屋三郎右衛門と雲もの、酒二斗づゝ入る桶二つお一荷として、其上に草鞋数足置きたるお担て、江戸に下り、大名の家々に至りて、一升お銭二百文づゝに売たり、其頃いまだ麁酒のみにて、これが酒の如き美酒なき故、ばいとりがちに買はやらかし、頻りに上下して火しく利お得たり、其頃は米は下直なり、木銭は十二文ほどしたる故、鴻池より一上下銭二百五六十文にて仕廻たり、肩の上ばかりにてはかゆかざる故、その一荷四斗の酒お一樽として、二樽お馬一駄とて、数十駄づゝ持下りて、勝屋売たり、依之末代に至りて、酒の価お極るとき、十駄金子何十両と立るもの、廿樽酒八石の積りなり、追日酒うれる故、馬の背にても及びがたく、終に東海お何十万樽と雲に至りて、船につみ入津する事、今日盛りなりと雲り、此いつ頃のことにか、江戸鹿子に、下り酒や、中橋広小路、呉服町一丁目、二丁目、せと物町一丁目と見えたり、