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我衣
前々より酒樽割醤油樽割とて、一と樽売の代物割お以て、一合二合の小売おし、或は上酒より次酒、段々価下直に書付お廻し、所々より出るといへども、当分計にて末は外の酒店にかわる事なし、援に元文元年、鎌倉河岸に豊島屋と雲酒屋、見世お大にして、外々より格別下直に売たり、毎日空樽十廿お小売にて、明るほどに、酒は元直段にて樽おもふけにしけり、其頃は樽一匁より一匁二三分迄に売りたり、其仕方お見るに、片見世に豆腐作り酒店にて田楽おやく、豆腐一丁お十四に切る、甚だ大きなり、豆腐外へは売らず、手前の田楽計りなり、その比豆腐一丁にて廿八文なり、是も元直段にて味噌も人も皆々外物なり、されども酒の明くお肝要とするゆへ、田楽お大きく安くみせ、酒も多くつぎて安く売ゆへ、当前には荷商人中間小者馬士駕籠の者、船頭日傭乞食の類多くして、門前に売物お下しおきて、酒おのむ、これによつて野菜等お求めんと思ふ人は、皆此豊島屋が見世先へ行けば、望の物あるゆへ、自ら見世先人立多きゆへ、往来の人も立寄、内のていお見て繁昌なりと沙汰す、後々は樽売或は五升三升の通(かよひ)樽にて求に来る、寛保の比よりは、大名の御用酒おも被仰付、旗本衆小役人中の寄合にも必ず豊島屋の樽なきことなし、夫ゆへ糀町、四つ谷、青山、本郷辺、小石川、番町、小川町辺の屋敷より遠方お苦にもせず、山の手向車力馬足にて積送る所の酒屋よりは、格別下直にてしかも酒よく、猶々評判お得たり、新堀新川の酒問屋にても金廻り悪敷問屋は、元直段お引ても豊島屋へ積送るに、何百駄にてもかへすことなし、問屋も前金お借りて著船次第に、酒おこすべきなどヽ約束して、借用する問屋もあり、夏に至て十日廿日ならで持まじき酒おば、皆々直段格別に引下げ、豊島屋へ送るに、一両日の内には飲尽す、是より段々繁昌す、其後近隣に此通の酒屋出たれども、手ぜまくして豊島屋に不及、是酒醤油かけ直なし安売の元祖なり、