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近世奇跡考

地黄坊樽次酒戦慶安の頃、江戸大塚に地黄坊樽次と雲人あり、〈実名茨木春朔、某侯の侍医也、〉古今希有の大酒にて、酒友門人甚おほく、其頃名高き人也、〈○中略〉おなじ頃武州大師河原に、大蛇丸底深と雲富農あり、樽次におとらざる大酒にて、酒友門人おほく名高き人也、其子孫今に栄ふ、〈○中略〉又おなじ頃鎌倉に甚鉄坊常赤と雲者あり、もとは真言宗の僧なりしが、還俗し樽次に医お学びて業とす、樽次底深につゞきたる大酒也、〈洞房語園に、江戸吉原の医師県升見と雲者、浅茅が原心月庵にて大師川原甚哲と酒戦、勝劣なしと記せるは此坊が事なるべし、〉酒戦〈慶安の頃、大におこなはる、樽次底深両大将となり、敵味方とわかれ、あまた酒兵おあつめ、大盃おもつて酒量おたゝかはしめて、勝劣おわかつたはむれなり、是に大居目礼古仏の座などいふ法礼あるよし、水鳥記に見ゆ、○中略〉水鳥記〈一巻あり、樽次の自作、底深と酒合戦の戯書也、原本大師川原にあり、〉