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三養雑記

対酌奇事天保二年のことゝかや、讃岐国高松なる津高屋周蔵といふものあり、生れえたる大酒なれども、常には人なみに肴おまうけて対酌すれども、いざ飲まんとおもふときは、玄米に生塩お肴として飲むほどに、その数量いくらといふおしらずといへり、ある時かの周蔵が檀那寺へ、日蓮宗の僧来りていふやう、われは肥後の熊本の者なるが、かね〴〵伝へうけたまはりしにこの地に津高屋周蔵どのといふ人、玄米に生塩お肴にして、大酒せらるゝのよしきゝ及べり、いよ〳〵さやうに候はゞ、願はくは我らその周蔵どのに逢ひて、酒お飲くらべ試たしといふに、さいはひその周蔵は、わが寺の檀家なれば、いとやすきことなりとて、やがて周蔵がもとにいひやりければ、とりあへず来りて、かの僧に面会し、はる〴〵と尋来らるゝ心底、いと悦ばしとてあいさつありて、さていふやうは、たゞ空しく対酌すべきにあらず、このわたりの酒徒お催しあつめて、ともに飲んこそ興あらめとて、こゝかしこふれけるに、凡そ五十人あまりもあつまりぬ、さればその人々には、次の間にて酒肴おまうけてもてなし、かの二人は上の間に坐おしめ、玄米と生塩にてあひ互に飲ほどに、やゝありて二人ながらはや足れりとてやみぬ、その升数おはかるに、壱斗四升八合とかや、次にては人毎に二三升ばかりものみたらんとおもふに、あるひは頭おなやまし、または嘔吐に苦しむもありし、周蔵とかの僧は、つねにかはりしおももちもなく、ことに周蔵が家居は一里ばかりもへだゝり、僧の旅宿はそれよりなほ十七八丁も遠かりけるが、おりふし雨ふり出たるに、二人ともに雨具おつけ、足駄おはきてうちかたらひつゝ、かへりけるとぞ、