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承応遺事
御酒おこのませ給ひ、〈○後光明〉時々御量お過させ給ふお、諸臣ひそかにおそれけれども、諫奉る人もなかりけり、或とき御宴の興も盛にて、天機うるはしきに、徳大寺公信御前に出て、度々御酒過させ給ふは、玉体の御ため、其おそれすくなからず、聖人の教、程朱の教にもそむかせ給ひなんと、諫奉られければ、天機忽かはらせ給ひ、御劔おとらせられ、逆鱗甚しかりしに、従容として又申上られけるは、古昔より聖君の御手づから臣おきらせ給ふおきかざれども、公信が諫おきこしめしいれさせ給はゞ、身命はおしむにたらずとて、立もさらずぞさぶらはれける、陪侍の人人しりぞかしめらる、上も御劔おもたせ給ひながら、入御なりにけり、〈○中略〉あくるあしたはやく出御ましまし、近習の人に、さてもよべの御ふるまひ、いたく悔させ給ひ、御寝もならせ給はず、此後公信が参らんもおぼつかなくおぼしめすと仰ありしに、公信は天機お伺ひ奉らんとて、とくより参内しさぶらふと申上られければ、よろこばせ給ひ、座お賜ひてめされにけり、公信はよべ天機に忤ひ奉られしおおそれつゝしみ、御前に出られける、竜顔殊にうるはしく、さてもよべの忠諫叡感浅からずおぼしめせり、此後は御酒おいましめて、たゝせ給ふべし、よべの御ありさま、かへすがへす御恥かしくおぼしめすなり、今よりいよ〳〵忠諫おいれ、不徳おたゞし、嘉徳おたすくべしとて、よべとらせ給ふ御劔お、御手づから賜はりけり、