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文恭院殿御実紀附録

御壮年〈○徳川家斉〉のころより酒お御嗜ありて、常々めし上られ、花紅葉の折にふれては、御過酒もおはしましゝ、左様の時も常に替らせらるゝ御容子は、曾てあらせられざりしかど、御齢たけさせ玉ひては、殊更御身の為宜しかるまじと、一橋邸よりひそかに御諫言ありしとなむ、夫より後は三献の外は召上られざりき、一とせ御放鷹として、近郊に渡らせ玉ひしに、その日風雪にて寒気凜冽なりしかば、御供の人々堪難きさまお、あはれませ玉ひ、あまぬく御酒賜はりし事あり、其時傍に候せし某、今日などはちと御過し遊ばさるとても、寒気御凌の為なれば苦しかるまじと申上しに、そこお呑ぬが男なりと御戯言あり、三献の外召上られざりしとなむ、これらは仮初の御事なれど、人々嗜物抑遏するは、いかにも難きことなるに、かゝる御振舞は、すべて凡慮の計りしりがたき御事なり、