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倭訓栞
前編十一志
しほ〈○中略〉 奥州伊北郡月輪庄に、大塩といふ里ありて、そこに塩井あり、此井お汲て塩お焼り、業とする民家多し、海へは四方ともに四日路なりといへり、西行法師の歌、 あまもなく浦ならずして陸奥の山かつのくむ大塩の里、古今集に、しほの山さしでの磯とよめるも甲斐の国也、甲斐には海なし、されど其山に溝ありて、塩出といへり、伊勢飯高郡丹生に、近年川に潮夕ありてしほ水となれり、其山おしほ田山、其谷おしほた谷といふも、よしありしなるべし、凡そ海へ至て近き所五里余なり、弘法大師の歌とか、 細くびの南の浦にさすしほは丹生の内外のみそぎなりけり、茅原村近し、そこに細くびといふ所ありとぞ、大和吉野郡大名持神社妹山にあり、川原屋村に属す、社前に潮生淵あり、歳ごとに六月晦日潮水湧出すといふ、又下野国塩谷郡塩湯の産、遠州掛川の近辺にも出といふ、河内国錦部郡横山塩穴寺の塩石皆石塩也、はなしほと称するは印塩也、近来佐渡より戎塩お出す、青色也、塩焼は男の業、塩汲は女の業たる、西土の風も同じ、〈○下略〉