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甲斐国志
百二十三附録
塩〈○中略〉 奈良田村塩井、本村は白峯の麓最幽僻なる孤村にて、租税免許の地なり、其西は大山重絶人従たれども、信州伊奈郡の地へ続たれば、古は共に大草郷と称したりき、伊奈郡記に鹿塩と雲、古来の名所にて、山中より出水お塩川と名け、山中に海潮あり、里人汲て食塩とすとあり、水脈此に相通ずるなるべし、塩井方五尺、里人汲其水煮れば即塩となる、色昊白なり、本草綱目雲、塩井者、今帰州及四川諸郡皆有、汲其水以煎作塩、如煮海法、蜀都賦曰、浜以塩池、又雲、家有塩泉之井と、此類なるべし、自是南早川に沿たる諸村、湯島に温泉あり、大原野に塩島雲処あり、草塩村、塩上村、又塩沢など雲地名もあり、塩気多き処ならんか、東河内領田原村文左衛門雲者の宅地に、塩井と称する者あり、鹹味差薄し、凡塩に五種あり、海塩、井塩、池塩、崖塩、鹸塩、是なり、〈○中略〉旧以物為名処、古人必有所見而呼之ことなりと雲、試之に本州塩山に鹸塩お生ずることは、州人も能言之、又傍らに塩川と雲もあり、市川平塩丘にも生之となり、府中北に塩部雲あり、今城郭に接する地にして、旧構は詳ならねども、堺町裏外溝の水鹹ければ、聊其ことお徴すべし、